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天文学と印刷を見に行ってきました

Comfreak / Pixabay

凸版印刷の印刷博物館で開かれていた”天文学と印刷”という企画展示を見に行ってきました。この展示会を知ったきっかけは、印刷博物館のある飯田橋駅の広告を見たことです。

天文学と印刷という、一見関係のなさそうな二つをどのように展示するのか気になったので、行ってみることにしました。星座を精緻に印刷する技術の紹介の展示かなと予想しながら展示を見に行きました。

印刷の起こりとアリストテレス・プトレマイオスの天文学の復興

印刷は15世紀のルネサンスの時期に発明、発展していった技術です。有名なのはグーテンベルクによる”42行聖書”です。これは、当時の活版印刷は42行であったために、このような呼び名がつきました。聖書が印刷されたのは、当時もっとも需要のある書物が聖書であったからです。

印刷技術の生まれた15世紀に時を同じくして、天文学も大いに発展していきました。例えば、1496年にはニュルンベルクの天文学者レギオモンタヌスが天文学の三大古典の一つである”アルマゲスト”を印刷しています。これにより、アリストテレスが唱えた天動説、それに実際の天体の動きとのずれを補正する理論を加えたプトレマイオスの天文学が多くの人の目に触れることとなりました。印刷技術によって数多くの人が学問の分野に参画できるようになり、大きな発展を遂げました。

印刷技術は歴史上最も偉大な発明の一つと言われていますが、改めてその素晴らしさを感じました。学問が大きく発展したルネサンス期に印刷技術も発展していったことは、納得できる話です。幅広い人が参画して発展していく様は企業が進めようとしているダイバーシティの確保に通じるものがあると感じました。

ニュルンベルクからコペルニクス的転回へ

ニュルンベルクという都市はもともと時計職人の集まる職人の街でした。例えば、ピーター・ヘンラインという時計職人は図に示すようなニュルンベルクの卵と呼ばれるゼンマイを使用した懐中時計を作成していました[a],[b]。時計技術のおかげで、優れた金属加工技術を持っていたため、活版印刷も盛んにおこなわれるようになりました。

Philadelphia Memorial Hall

当時は、印刷業者も印刷する本の内容に精通している必要があるため、学者が自分で自書の印刷を手掛けることが多くありました。天文学者も同様で、”アルマゲスト”を印刷したレギオモンタヌスもニュルンベルクに印刷所と天体観測所を構えていました。

優れた印刷技術と天文学への高い教養から、コペルニクスは自身の書、”天球の回転について”をニュルンベルクのに印刷を依頼しました。この”天球の回転について”の印刷・出版によって天動説から地動説へと世界観が大きく変わることになりました。これまでの思考によって世界を解釈するやり方から、観測によって現実の世界を解釈するやり方へとシフトしていきました。

ちなみに、今回の展示では”天球の回転について”のレプリカを自分で触ってめくることが出来ました。現在の本よりも非常に分厚く、文字も大きいという印象です。日本語の辞書ぐらいの分厚さで読むのが大変そうだなと感じました。

ケプラーによる楕円軌道の提唱

コペルニクスによって、天動説から地動説へと世界観が大きく変わることになりました。そんな世界観間を大きく変えることになった”天球の回転について”ですが、まだ惑星は円軌道になると考えられていました。ところが、それに対して新しい説を提案したのがケプラーです。ケプラーはティコ・ブラーエとともに天文学の共同研究を行っていました。ティコ・ブラーエは天体観測用の島をもっていました。ティコ・ブラーエは新星や彗星の観測を行い、アリストテレスの自然学を否定しました[d]。同時に膨大な精度の高い天体観測データを記録していました。
このティコが残した膨大なデータからケプラーは楕円軌道を提案しました。楕円軌道を提案するきっかけになったのは、火星の離心率が円軌道では説明できないほど大きかったことだとされています。惑星の楕円軌道について、”新天文学”という書物で発表しています。
後に、ニュートンによって万有引力が導かれ、この楕円軌道の正しさが証明されます。

ちなみに、ケプラーの第三法則に、”各惑星の周期の二乗と距離の三乗の比は等しい”というものがありますが、これは”新天文学”では述べられておらず、”世界の調和”という本で述べられています。この本で、ケプラーは神が創り出したこの世界に潜む調和、神の意図をくみ取ろうとしたようです。音階についても考察されています。この時代の科学者が様々な分野に興味をもって仕事をしていたことを感じさせます。私も技術者として働いていますが、音楽や絵画といった芸術分野にも興味をもってみようかなと思いました。

まとめ

天文学と印刷、一見すると何のつながりもない両者ですが、ともにルネサンス期の改革の中、発展していきました。これまでのアリストテレスによる天動説からコペルニクスの地動説へと世界観が大きく変わるときに、記録媒体を一新させた印刷技術の果たした役割は大きいと思います。印刷技術がなければ、世界中に天文学、その他の学問が広まることはなかったでしょう。
天文学を軸に出版の歴史や影響力を勉強することができて面白かったです。印刷技術のお陰で幅広い人が学問の世界に参加し、新しいアイディアがどんどん生まれていったんだと実感しました。この展示会のサブタイトルである、”新たな世界像を求めて”は、アリストテレスからケプラーまでの一連の流れをうまく一言で表していると思いました。

参考文献

[a]ピーター・ヘンライン(Wikipedia):懐中時計や腕時計の発明者とされることもあるが、異論もあるらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
[b]Nürnberger Ei(Wikipedia)
https://de.wikipedia.org/wiki/N%C3%BCrnberger_Ei
ヴェーン島に天体観測所、ウラニボルクを構えていた。
[d] アリストテレスの自然学では、天のエーテル領域、すなわち地球の外では、いかなる変化も生じないとしていた。そのため、彗星や新星が説明できない。
天文学と印刷 図録、コラム:天文学所と印刷社の境界線(石橋圭一) より

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