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【読書感想文】消滅する言語(中公新書)日本語に誇りをもとう

通っている英会話教室の教材で扱った記事がウェールズ語の話者が復活しているというもので、そこから言語の危機とはどういうものなのか、気になったので、
消滅する言語(デイヴィッド・クリスタル著、斎藤兆史/三谷裕美訳、中公新書)を読んでみました。

そもそも消滅の危機に瀕している言語とはどういうことでしょうか。私たち日本人は、単一民族であり、日本語を話す人口も1億人近くおり、言語が消滅するということ自体、想像できないという人が多いと思う。かくいう私もどういうことか、初めは想像できなかった。消滅する言語という本によれば、世界の言語、約6000語のうち半数近くが消滅の危機に瀕しています。言語が消滅するということは、その言語の使い手が誰もいなくなり、歴史から消えることを意味します。私たち日本人の例でいえば、アイヌ語がその一例である。アイヌ民族が暮らしていた北海道を中心にアイヌ語を保存しようと博物館の建設などが行われています。

言語が消滅する理由として、よく言われるのは英語のほうが便利なので、母国語を使うのをやめてしまうと言われています。
確かに、英語は世界中で使われていますし、一つの国や地域でしか通じない言語を使っていても意味がない、と思われるかもしれません。ですが、母国語を捨ててまで、英語を学ぶべきなのでしょうか。

私は言語は消滅させてはならないと考えます。本の中で著者も理由を大きく5つ述べていますが、人類の多様性を維持するためと過去とのつながりを保つためという2つの理由に私は共感しました。

多数の言語を話す集団がいるということはそれは人類の多様性につながります。生物多様性が声高に叫ばれていますが、それは言語においてもあてはまります。生物多様性があると生態系が豊かになるように、人間の文化も言語がたくさんあるほうが豊かになります。というのも、言語が違えばモノの見方も違います。例えば、日本語には雨に関する単語が数多くあり、雨が降る時期や時間帯によっても言い方が異なります。ところが、英語にはそこまで多くの雨の種類を表す単語はありません。これは日本人の雨に対する感じ方がより繊細であることの証明だと思います。日本語と英語のどちらが優れているかを言うつもりはなく、あくまで多様性の説明の一つに過ぎません。

もし、日本語が失われたらどうなるでしょうか。私たちはこれまでの日本の歴史について理解することができなくなります。また、日本の文化も言語とともに失われてしまうでしょう。英語やそのほかの言語で歴史や文化を保存すればいいと思いますか?普段、日本語を英語に翻訳しようとしてニュアンスをうまく英語に訳せないと思ったことはありませんか。言語そのものにも私たち日本人の文化・感性が含まれており、それは英語やほかの言語では再現できない独特なものなのです。したがって言語が失われてしまうと、そうした文化まで失われてしまいます。また、自分の親・祖父母など祖先のことを知りたいと思ってもわからないということになってしまいます。例えば、韓国では漢字の使用を禁止したために、日本統治時代の文書が読めなくなってしまったそうです。過去から積み上げてきた先人の歴史や文化を学ぶ、こう考えると学校で習う古典や漢文の大事さを感じます。

最近では、英語を学ぶべきだ、と声高に叫ばれていて、小学校でも英語教育が始まりました。もちろん、英語を学んで使いこなすことで世界中の人とやり取りができ、個人の活躍できるフィールドが広がるので、英語を学ぶこと自体は賛成です。ですが、日本語が英語に劣る、という変な考え方は持たないようにしないといけないなと思います。英語が優れていると思い込みすぎた余り、子供の名前を英語圏での名前にする親もいるようです。しかし、日本人なのだから日本人らしい名前を付けるべきだと思います。自分たちの文化、アイデンティティに自信を持ったうえで、英語は道具として使ってやる、そんな姿勢であるべきだと私は思います。

 

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